英語ページへ

【おうちで中川一政美術館】vol.2 中川一政 書「飲中八仙歌屏風」(1990年)

2020.4.26

 現在、真鶴町立中川一政美術館は、新型コロナウイルス感染症予防対策のため休館させていただいております。開催中の展覧会「中川一政のことばと創作-詠み、書き、描く-」も中断を余儀なくされておりますが、臨時休館期間中、ご自宅でも中川一政画伯の芸術世界を楽しんでいただけるよう、当館イチオシの所蔵作品を紹介していきます。

 

 第2回目は、中川一政 書《飲中八仙歌屏風》(制作年:1990年、紙本/墨/着色、サイズ:36.7 ×58.5(56.7×163.0*)cm) をご紹介します。

*( )は屏風全体のサイズ 
 

 この作品は「中川一政のことばと創作-詠み、書き、描く-」の出品作で、現在当館の第1展示室にて展覧しています。また、今回の展覧会のポスター、チラシのデザインにも採用しています。

 

 本作の題材となっているのは、中国盛唐の詩人杜甫(とほ:712~770年) が詠んだ「飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか) 」という詩です。唐代に活躍した詩人の賀知章(がちしょう) ・汝陽王李璡(じょようおう りしん) ・左相李適之(りてきし) ・崔宗之(さいそうし) ・蘇晋(そしん) ・李白(りはく) ・書家の張旭(ちょうきょく) ・焦遂(しょうすい)という八人の酒仙(酒豪)の酔態が詠まれています。

 今回は、一部抜粋して詩の内容を紹介します。

 

「賀知章が船に乗った姿は、まるで船にゆられているようだ。
目がかすんで井戸に落ちても、そのまま水底でねむっている。
汝陽王は三斗ひっかけて、初めて朝廷に出仕する。
それでも途中麹車(こうじくるま)に出会ったら、その香を嗅いで思わず口からよだれを垂らす。
そして酒泉に領地を移してもらえぬことだけを口惜しがっている。
(中略)
李白こそ天性の詩人、飲めばのむほど詩が出来て、一斗のむうちに百篇も詩ができる。
長安市中の酒場で酔って眠ってしまい、天子からお召しがあっても、船にも乗れず、自分では「臣は酒中の仙人でござる」などと言って、いい気持ちになっている。
張旭は、草書の名人で、三杯飲んで筆をとると、実に草書の神様だと世に伝えられるが、これが酔うと、王公の前をも憚(はばか)らず、帽を脱ぎすて、頭をむき出しにして、筆を揮(ふる)って紙上に走らせれば、字々躍動して、雲烟湧き起こるがごとくである。
焦遂は大酒飲み、五斗ものむと、やっとシャンとして来る。それから始める調子の高い大雄弁ときたら、講座の人を驚かすばかりだ。」
 (『新釈漢文大系 唐詩選』(明治書院)より)

 

杜甫の詩には、杜甫自身が生きた時代や社会への批判、悲しみなどが色濃く表されているものも多くありますが、「飲中八仙歌」では、博識で高名な人々がお酒の力によって普段とは異なる才能を発揮したり、人格が変わってしまったりなど、ユーモア溢れる内容が登場します。

 

ちなみに、中川画伯自身はお酒を飲む人ではありませんでした。しかし、お酒の文化へも関心を寄せており、また、画伯は酒の代わりにお茶を嗜み、自身の随筆の中ではお酒の文化お茶の文化を対比させながら、日本のお茶は酒と同等以上の品格があるのだと述べています。

 

「酒以上の飲み物はまずないだろう。酒に匹敵する飲み物をつくったら、それは大変な金持ちにもなれるだろうし、世の中を変えることも出来よう。
ところが、酒以上のものはなかなか出来ない。コカコーラなど造ったって足元にも及ばない。コーヒーも紅茶も遠く及ばない。第一、砂糖とか牛乳とかレモンとか他のものの助けを借りて一本立ちが出来るのである。
日本のお茶だけが、だれの助けもかりないで一本立ち出来るのである。
色も匂いも清楚で、ずっと品格が高い。
酒のみでも茶の良さはよく解する。
しかし、酒と茶は効果が違ってしまう。」

(中川一政「茶と酒」『うちには猛犬がいる』(昭和38年)より)

 

なお、画伯は本作を97歳の時に書きました。また、この年は「飲中八仙歌」を題材に何点か書の作品を制作しています。
中川画伯は人をあっと驚かせることや、人間の弱点や矛盾を面白くとらえ作品に表現することが好きな方でした。そのことを考えると、お酒と人間の心の関係が映し出されたこの詩の内容に共感し、創作の原動力として、自身の作品の題材に選んだのかもしれません。

 

 

(真鶴町立中川一政美術館 学芸員 加藤志帆)