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【おうちで中川一政美術館】vol.6 中川一政 油彩「霜のとける道」

2020.5.21

[掲載作品]中川一政《霜のとける道》1915年、油彩/キャンバス、サイズ:33.3 × 45.5cm(当館所蔵作品)

 

 自宅にいながら中川一政画伯の芸術世界をお楽しみいただける連載企画「おうちで中川一政美術館」、第6回目は油彩画《霜のとける道》を紹介します。

 

 本作は、中川画伯が22歳の時に描いた作品です。
 冬晴れの空を爽やかな水色で、道は褐色を用いて塗られています。路肩の木々は、黒と濃い茶色で描かれています。また、道の上の墨汁が垂れたように黒く塗り込められた箇所は、霜が溶け出しているようにも伸びた影のようにも見え、この絵には何が描かれているのだろうか?と、じっくり観察したくなる一点です。

 

 この絵を描く前年、中川画伯は神戸に滞在しており、滞在中にもらった油絵具で本格的な絵画制作に取り組むようになりました。(その時に描かれた絵が「酒倉」です。) その後、東京へ戻ると、当時住んでいた巣鴨周辺で盛んに写生を繰り返すようになり、本作はその時期に描かれました。

 

 現在、当館では中川画伯の最初期(20代)の油彩画を、本作を含め計7点所蔵しています。
 画伯の若い頃の作品は現存しないものも多く、当館所蔵の初期作品は中川画伯の画業を辿る上で大変貴重な資料です。
 初期の作品を《駒ヶ岳》や《福浦》といった画伯の代表作と同じ展示室で展覧すると、サイズがとても小さく、同じ作家が描いたのだろうかと思うほどに画風が異なることに気づきます。
 中川画伯は、長い創作活動の中で少しずつ画風を変えながら自らの制作スタイルを確立しました。《霜のとける道》は、まだ油絵という技法を自分のものにできていないのか、筆の運びや構図の捉え方にぎこちなさを感じます。ですが、冬の日の一瞬の自然現象を素早く描写した一点であると言えます。

 

 ところで、この絵の下にはもう一枚別の絵が描かれているのをご存知でしょうか。

 

 「画を描き始めたころ、岡本かの子の家へ行ったことがある。短歌を通じて知っていて、先輩と一緒に出かけたの。夫で画家・漫画家の一平は、まだ知らなかった。岡本太郎が赤ん坊の時分だね。遊びに行って、それで一平の画をもらったの。ところが、毎日、画を描いているうちにキャンバスが無くなってしまって、悪いとは思ったけど、もらった一平の画の上に描いてしまった。
 それが《霜のとける道》という画で、初めて描いた《酒倉》よりは画になっている。一年くらい苦労をしてきたんだから。《酒倉》初入選の翌年に、その画とか三点を巽(たつみ)画会へ出して二等賞になった。 (中川一政「獨行道 中川さんが語る自画像」(北国新聞掲載)/『中川一政画文集 独り行く道』(2011年)より)

 

 この頃は、画材が簡単に手に入る時代ではなく、中川画伯も苦労しながら絵を描いていました。絵を描きたいがキャンバスがない…。そのような状況に直面した画伯は、芸術家岡本太郎の父親である岡本一平の作品を塗りつぶし、《霜のとける道》を描いたのです。

 

 長い間、画伯がこの出来事について語ることはなく、晩年に刊行された随筆『腹の虫』(1975年)で初めて絵に隠された秘話を明かしました。また、1991年にTBSが制作した画伯のドキュメンタリー番組「われはでくなり」では、X線撮影によってこの絵の下に描かれていた丸髷を結った女性像の輪郭を確認するというシーンが紹介されています。下絵が浮かび上がってくる過程を淡々とした表情でご覧になっている中川画伯の姿も映っており、とても印象的な場面です。

 

 このように、作品に込められた作家の思いや、作品が生み出されたストーリーを知るだけでも様々な視点から美術鑑賞を楽しむことができます。
 当館で《霜のとける道》をご覧いただく機会がありましたら、ぜひこの逸話を思い出しながら絵を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

 

(真鶴町立中川一政美術館 学芸員 加藤志帆)